南ゆうこ yuko minami

先日、軽トラに乗りながらこの感覚に覚えがあるのに思い出せず、しばらくして思い出した。これは旅のあいだの感覚に近い。
オートマではあるけれど、快適な空間、便利さ、手厚く守るものがなにもない。

鍵を挿して回さないとエンジンがかからない。
鍵を見失うことがない。

音楽を聞く環境もなし。
今日は何を聞こうかなんて考えない。

窓は手動。
こどもの手を挟む心配もない。

運転席の座席を上げるとエンジンが丸見え。ドアも薄い。ハンドルなんて抜けそうに細い。

でも、汚れても傷がついても、靴が土だらけでも、軽トラだからかまわない。
軽トラはそれ以上にはなりえない。どこから見ても白い軽トラはほかのものになる隙間が1ミリもない。

そこがいい。

大きな窓はよく見渡せるけれど、ぶつかったときにはボンネットのないフロントガラスは目の前にある。
それは車に乗ることが、危険が伴うことを忘れずにいられる。

旅のあいだ、荷物は最小限。
捕られて困るものはパスポートくらい。服も2.3枚で洗えばいいし、最後は手放して帰るくらいのくたびれた服でいい。必要な時はその場で買えばいい。

とにかく、なくなって困るものといえば生きていることくらい。
そのうち、性別も年齢も忘れるほどの軽やかさで、人や世界に出会うような気持ちになる。

こどもを生んで旅からすこし離れ、なくなって困るものは自分のいのちだけではなくなった。それはそんなふうに思ってもらっていたことを知ることでもあった。

軽トラに乗ったら思い出した。

この感じ